帝国の首都ザーフィアスの下町は、活気はあるがどこかのんびりとしている。幼い頃から慣れ親しんでいるから多少ひいき目なところもあるだろうが、その部分を差っ引いても、ユーリはこの町が好きだ。 カロルが頬杖を突いて、窓の外を行き交う人々を眺めながら言った。 「最近ちょっと町の様子が変だよね。こういう時は仕事が入ってきそうな予感がしない?」 「そうか?」 ユーリもちらりと窓の外を見やったが、特段いつもと変わった様子は見出せない。だが、ジュディスはそうでもなかったようだ。特に否定はせずに艶やかに微笑む。 「そういう時の仕事は厄介な可能性が高いわね。ふふ、楽しそうだから良いけれど」 やる気満々のカロルは、気のないユーリに顔を顰めていたが、ジュディスの言葉もまた別の意味で問題がありそうだ。カロルの勇ましい武者震いが、あっさりと身震いに変わる。 放っておくのも可哀想な気になって、ユーリは笑いながら救いの手を差し伸べた。 「厄介ったって、前ほどにはなんねえだろ」 「あ、そか」 世界崩壊の危機に、今いるメンバーと更に数人の仲間たちで潜り抜けた幾つもの困難を思えば、どんな事件でも大したことはない。 「で、首領はどんな仕事が舞い込んできそうだと考えてるんだ?」 「そうだなあ。用心棒とか」 「用心棒? 誰が押し入ってくるって言うんだ。外の魔物か?」 「それは騎士団の仕事でしょ。僕たちが出てったりしたら、一般市民の方は危険だから下がってください……とか言って、止められるに決まってるでしょ! それに、誰がそんな仕事相談してくるって言うんだよ」 カロルがテーブルに両手を突いて立ち上がると、右手を握り締めて振り回した。 「変なのは外じゃなくって、中! 盗難事件が立て続けに三件も起こってるでしょ!」 「ああ、それなら聞いてるが、今までも全然なかったわけじゃねえだろ」 「そうねえ、人がいるところではどこでも起こっていると思うけど」 「でも、ザーフィアスは治安が良いから、ほとんどこんなことはなかったじゃない。それがこの短期間で何回もあったからさ、お金持ちのお屋敷からお声が掛からないかなあ、なんて」 「お金持ちのお屋敷は騎士団に依頼すんだろ」 「まあ、そうなんだけど! でも、騎士団ははっきり狙われてるって分からない間は一軒だけを特別に警備したりはしないでしょ。それに、騎士団の数ちょっと減ってる気がしない?」 「そういえば」 ユーリとジュディスは、それぞれに町の様子を思い浮かべて同意した。 騎士団は城門や詰め所などに常駐し、時間を決めて巡回にも出ている。既にその姿が溶け込んでいたから意識していなかったが、言われてみれば最近巡回中の騎士に出会っていない。 「ね? 頼みたい人、いそうな気がするでしょ?」 「お、段々首領らしくなってきたな」 「うん!」 「何かおいしいお酒でも見付けたのかい?」 「ん? ああ。それに、酒でも飲まなきゃやってらんねえだろ」 投げやりに答えると、不意にフレンに後ろから腕を取られた。危うく階段から落ちそうになって、何とかバランスを取る。 「危ねえ! お前ごと落ちるだろ!」 「その時は僕が支えてあげるよ。そんなことより、今の言葉は聞き捨てられないな」 「?」 低い声と堅い真剣な表情から、よっぽどフレンの癇に障ることを言ってしまったのだろうと思うが、不思議なことにユーリには何が原因なのか分からない。ぽかんとしていると、腕を掴んでいた手が胸元へと回り、ぐいと引き寄せられた。 「うわっ! 危ねえって!」 抗議の声がつい控え目になってしまうのは、周囲を気にしてのことだ。日中と違い少し人通りが少ないが、全く途切れているわけではないし、人が少ない分声も余計に響いてしまう。 恥ずかしいだけで済まされるユーリならともかく、フレンは今や帝国の騎士団長だ。女性とならいざしらず、男と抱き合っているなど不祥事にもほどがある。 「場所をわきまえろ。困るの、お前だろ」 「困らない」 きっぱりと言い切ったフレンを驚いて振り返ると、するりと腕が解かれた。 「と、言いたいけれど」 「当たり前だ。帝国の騎士団長が、舐められちまったら厄介で仕方ねえ」 二人で並んで階段の続きを登ると、手前にあるユーリの部屋に入った。扉を完全に閉めテーブルの上にもらってきた菓子を置いたところで、ユーリは腕を組んでフレンを振り返った。 「一体どうしたって言うんだよ」 「呆れたことに自覚がないんだ?」 フレンはやり場のない憤りを、やり切れないとばかりに短いため息と共に吐き出した。 「僕は君のことを真剣に愛しているのに、ユーリは酒の力を借りないとやってられないことなんだと思って」 「へ?」 「――――やっぱり」 フレンは軽く左右に頭を振ると、どうしようもないと肩を竦めて両手を広げてみせた。 フレンの手が帯に掛かるのを感じて、ユーリはその手を押し止めた。 「おい、フレン。折角酒とつまみ、用意したのに」 「いつでも飲めるだろ?」 「……て、お前。今日休まないでいつ休むんだよ」 本来なら今日が非番だったフレンだ。今日は、最も次の非番まで遠い日と言える。だから、周囲も気を遣って、少し早く上がらせてくれたのだ。そんな貴重な時間をわざわざ会いに来てくれたのは嬉しい。嬉しいはずだが、フレンの身体のことが心配だ。 「今日君に触れなかったら、いつ触れられると思うんだい?」 「ああ、そりゃ、その……来週になるだろうが、それでお前は大丈夫なのかよ」 「それでユーリは大丈夫なの?」 そう、来たか。 ユーリは健康な青年だ。勿論、欲求はある。だが、時には長い旅もするので、ある程度なら節制することも可能だ。フレンのことを考えれば、来週に延期するのも否やはない。 だが、先程の熱いキスとフレンの熱っぽい表情が、理性の邪魔をする。 「大丈夫……じゃ、ない」 最後まで否定するかを悩んで、ユーリは結局フレンの熱い想いに……いや、自分自身に負けた。 「そう」 フレンの顔が嬉しそうな笑顔に変わる。そんな顔を見れば、後悔など浮かびもしない。 「ユーリ」 愛しい唇が熱っぽく囁いた自分の名前には、まるで質感があるかのようだ。熱く、そして柔らかく耳をくすぐる。 「フレン」 ユーリの声もフレンにそう伝わっているのだろうか。蒼い瞳が少しすがめられて、くすぐったく感じる。 「良いかい?」 「ああ。お前……明日もあるんだから、程々にしろよ?」 「君を前にして?」 |