「羊は知らないかもしれませんが、翼は僕の従兄弟です」
「ふうん」
 何もやましいことはしていないのだ。問題ないと思うのだが、明らかに羊が信じていない様子で焦る。
「本当です。それに翼は男――――は説得力がないですか」
「うん。百歩譲って本当だったとして、梓はその従兄弟の翼君が作ったチョコレートを僕の口には入れたくないってことでしょ?」
「当たり前です」
「――――」
 羊の視線がいよいよ厳しくなって、梓は自分の更なる失言に気が付いた。決して嘘を言っているわけではないのだが、羊が誤解しても仕方のないことを言ってしまっていて、これを解くのはなかなか難しい。
「だって、翼が作ったものなんて、いつもロクなもんじゃないんですよ! それが食べ物なんて、絶対にお腹を壊します! そんなものを先輩に食べさせられるわけないじゃないですか!」
「――――」
 今日は厄日だ。せっかくアメリカから羊が出て来てくれたというのに、梓が何か失態を犯したわけでもないのに、こんなに険悪になってしまうとは。
 泣きたい。



「錫也?」
 羊が白い息を吐きながら錫也の顔を覗き込んできた。錫也はその肩を取って、ぎゅっと抱き締める。
 羊が、いる。
 錫也と羊は離れて生活をしている。いつもの二人の間には、日本とアメリカという途方もない距離があって、声を聞くことしか叶わない。それなのに、今は抱き締めることができるくらい近くにいる。こんな貴重な時間を簡単に手放せるはずがない。
「どうしたの?」
 羊の腕が背中に回った。そして、あやすようにゆっくりと背中を撫でてくれる。
「もう少し一緒にいたい」
「うん」
「バスに乗り遅れても良い」
 ゴソリと腕の中で羊が動いた。
「駄〜目」
「駄目?」
 驚いている間に、羊の身体が腕の中から抜け出してしまった。



 催促する音に、哉太は乱れた髪を手櫛で直しながら、ドアの鍵を開けた。
「はーい」
「もしかして、もう寝てたの?」
 開けるなり呆れた声がして――――いや、思い掛けない声がして、哉太はぎょっとして顔を上げた。
「!」
 見間違えだろうか。ここにはいるはずのない人の顔があって、哉太は思わず自分の目を擦った。だが、目の前の人は消えない。それどころか、彼は哉太を押し退けて中に入ってきた。そして、ドアをきっちり締めたところで、にっこりと笑う。
「Salut. ここ、関係者以外立ち入り禁止でしょ? こっそり入ってきたから――――」
 目の前に立っているのは、今はアメリカにいるはずの土萌羊だ。
「? どうしたの? まだ目が覚めない?」
「どっちかっていうと……覚めたくねえ」
To be continued