「哉太、羊。俺は、皆で楽しく食べてもらいたいって言わなかったかな」
 毎度のことながら、錫也の口調は穏やかなのに迫力があった。だが、羊には、錫也の気持ちを裏切ったことは認められても、どう考えても今回は自分に非があるとは思えない。
「言った。でも、今のは哉太の主張が無茶過ぎると――――」
「羊。喧嘩を売る方が悪いのは当然だけど、買う方も悪い」
 一理ある、か。
 羊は小さくため息を吐くと、ぺこんと錫也に頭を下げた。
「――――はい。ごめんなさい」
「よろしい」
 錫也の羊に注がれる視線が柔らかになる。次は哉太の番だ。哉太はきっと今に錫也が振り向くかと身構えている。だが、哉太の声は、羊の予想より若干早かった。
「違うぞ、錫也」
 そして、予想外に錫也を真っ向から迎え撃ったことに――――それも、まるで羊を擁護したかのタイミングに驚く。
「何が違うんだ?」
 錫也も多少の違和感を覚えたようで、その声にも羊に向けられた時ほどの圧力を感じない。
「そもそも俺と羊は喧嘩なんかしてない」
「え」
 これまた予想外の哉太の言い分に、三人は同時に声を上げた。
 既に羊が喧嘩だと認めて謝ったことを、哉太は今更否定してどうしようというのか。三人揃って、ぽかんと哉太の顔を眺めてしまう。
「……」
 哉太は居心地悪げに顔を歪めたが、自分の発言を撤回するつもりはないようだ。
「分かった、分かった。かばうのは仲良しの証拠だもんな。かばうくらいなら、じゃれ合いはもう少し軽めにな」
 錫也が一足先に思考を回復させて、微笑ましいとばかりに苦笑した。
 哉太が僕をかばった?
 羊は、まじまじと哉太の顔を見詰めてしまう。
 哉太の黄色人種にしては白い肌が、うっすらと色付いていくように見えるのは、気のせいだろうか。
「違ーうっ! かばってねえし! 俺は喧嘩なんかしてねえって言ってるんだ!」



「僕、お腹が空いた」
「だから、引き留めて悪かったって」
「本当だよ、僕、もうお腹が空き過ぎて力が入らなく――――」
「オイッ」
 言葉通りへなりと身体を折った羊を、哉太が慌てて支えてくれる。
 大病を患っているとの哉太の身体は薄いが、付くところにはきちんと筋肉が付いていて、羊を支える腕には安定感があった。
 へーえ。
 感心して顔を上げると、視界に入った瞬間は心配そうにしていた表情が急に強張った。見る間に不機嫌そうに眉根が寄って、羊はやや乱暴に両肩を掴まれ身体を引き離されてしまう。
「学食まで連れてってくれるんじゃなかったの?」
 意識して甘えた視線を送ると、哉太の顔が一気に真っ赤になる。
「な、な、何が『学食まで連れてって』だ! 自力で学食まで辿り着けないヤツに昼飯を食う資格はない! さあ、いつまでも人にもたれ掛かってねえで、自分で立て!」
「――――」
 羊は無言で哉太の瞳を見詰め返す。人と付き合った経験があまりないのでピンと来ないのだが、錫也に言わせれば、羊の瞳は反則なのだそうだ。錫也にこの瞳でおねだりをすると、必ず何か出てくるか作ってもらえる。
「なっ」
 対錫也用の瞳は、哉太にも効力があった。途端に哉太が落ち着かなくなって、そしてポケットの中を探ると羊に何やら差し出した。
「キャンディ!」
 羊は瞳をキラキラとさせて、哉太の掌の上のカラフルな包みに手を伸ばした。



 扉を開き中に一歩入ったところで哉太を振り返ろうとすると、哉太の胸が背中に触れた。押されるようにして中に入り、手から離れたドアが耳慣れた音を立てて閉まる。
 カチリ。
 鍵を――――。
「哉――――」
 振り向くより早く腰に腕を回されて、羊は哉太に後ろから抱き締められた。
「羊」
 少し乱れた息遣いの甘い声が耳をくすぐり、背後を振り向くと、哉太が羊の唇を掠め取る。
「Biseならやり方が違うよ?」
「フランス流の挨拶なんか知らねえ」
「じゃあ、これはキ――――」
 キスと言い終わらない内に唇を塞がれた。
To be continued